縮尺・縮約 contracté contraction


farsun14
縮尺・縮尺に見合う日本人の活動 contracté contraction
 「幼生の主体」(崩壊した自我)の詳細については別項で。-->
ただし、西洋で云うところの「自我」と日本人の「自我」は別物で、西洋的に云うならば、日本人の「自我」は初めから崩壊していると考えて良い。勿論日本人からすれば、崩壊してはいない。むしろ「幼生の主体」は常態化(日常化)していて、上手く機能しているからだ。
あらゆる収集癖(現象)について考えるならば、ほぼすべての人に当て嵌まる事柄だろう。「ちっぽけな差異、貧弱な一般性」「悲惨さと貧しさ」、本文では否定的に捉えているが、そうでもないと思うのは、収集はささやかなデータベースの構築でもあるからだ。多様体を指向していると、感じるからだ。疑似「多様体」であるとしても、肯定的に見てゆきたいと思っている。
収集物、一つ一つに込められた想いの縮尺。思いを象徴する物に対する代えがたい集約の密度。 全国で日々誕生しつつある句・歌、あるいは集大成の句集、歌集は実作者にとって、データベース化(配列、目録)の整った、掛け替えのない定型詩「多様体」と云えるだろう。
詩歌は世界の縮尺と同時に、作者の一日の、あるいはそれ以上の観照から来る能動的な縮約の象徴(財産)にもなっている。 他者の評価・承認により、社会のビッグデータのステージに登り、更に巨大なその時代の詩歌「多様体」の要素となることも可能だ。更に歴史を超えた、普遍文化「多様体」への道も。
最高峰へ行けば、個人の土産物とは一線を画すだろうが、その受動的な土産物の収集とて個人にとっては立派なデータベース、「多様体」に違いない。ただ、社会(ビッグデータ)への発展はないというだけの話で。
いかに個人にとって貴重なモノか。
  

 5/06/2020   

  • このページのトップ
  • home




  • 縮尺・縮約 その一 contracté contraction
     「プレバト」(TBS)で俳人夏井いつきさんのコーナーが人気である。NHKの俳句講座でも講師の添削の時間が一番人気であり、下地は既にあった。
     俳句自体が情景の多様体」と云えるだろう。
    詩歌は世界の縮尺で成り立っている。添削は更に凝縮を加え、形を整え、鑑賞に値する、広く読者に流通するように完成させる。
     ハイコンテキストな句をローコンテキストな俳句に翻訳していると言い換えてもいい。独り善がりな、自分しか、自分の文脈=コンテキスト(ハイコンテキスト)でスケッチされた句は、一般には伝わりにくいもの(意味不明やただ事の文)も多い。ローコンテキスト(文脈を考慮せずに読める)、字義通りに読めば一般に誤解なく伝わる俳句に変身させる。添削とはそういうものであろう。
     俳句は情景の多様体」と云えるだろう。
    詩歌は世界の縮尺で言葉が選ばれる。
     データベースというと、情報の集積でもあるが、情報の整理に目を向けると添削や、推敲は人間固有のその整理の仕方であろう。
    多様体』はデータベース(情報も含め、要素の集合)を持つケースが多いのだが、句作は情景だけの縮約ではなくて、生活そのものの多様体」と云えるだろう。
    詩歌は世界の縮尺でもあるところが実は押さえどころだ。個別故に省略した生活は自分にしか分からないところもあり、ハイコンテキストになりがちだ。巧くまとめ凝縮の至高を目指せば、人生を多様体」と云えるだろう。
    詩歌は世界の縮尺するような一句さえもものに出来る。 『多様体』の要素とは異質なモノが混在している(ミッシェル・フーコーの云う博物学の混在郷)。生活の一日とは様々な質の出来事が混在し、その内の句作とは、情景の簡潔な描写から始まり、その一日を縮約し、更に人生の、それ以上の、世代や、時代の一句にさえ昇華、表現することも可能だし、実際に数々の名句として残っている。
     Googleでは言葉や、地図、画像、映像検索というジャンル分けの違いがある。人間のデータベースは、更に物や匂い等のオブジェクトもキーワードの役割として加わる。  旅行の土産物、プレゼントされたアクセサリー、ライブの半券、VTR、写真、SNS、ノート、スターのサイン、玩具、収集物、本、音楽、料理、お菓子など、あらゆるものが、人間=多様体データベースへのアクセスキーワードを担っている。俳句は省略の文藝でもあるから分かりやすいが、日記や日誌、ブログも結果的に生活や思考の多様体」と云えるだろう。
    詩歌は世界の縮尺、凝縮された、文章は長すぎると思われるだろうが、現実の時間経過からすれば省略や、縮尺の賜物であろう。更に表題、題名に代表=再現前化され、キーワードとして完成される。
    多様体』は人間や世界を分析するモデル、雛形としてもあるのだが、そこにとどまってはいない。未完成の、常に変化し動いている。止まる、固定するという完成はない。未完成にして充分な。その未完成故、常に転身する自己の『多様体』に接する、意識する行為を続けることが生活の基底の実態なのだろう。
     GAFAという巨大多様体に接続することは、自己の多様体を刺激し拡張し、確実に充実させてくれる。
    (続く)

      

     1/21/2022   

  • このページのトップ
  • home




  • inserted by FC2 system