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二刀流 大谷翔平 その1 des sports baseball
 『SHO-TIME 大谷翔平 メジャー120年の歴史を変えた男』(ジェフ・フレッチャー 徳間書店)を読んだ。ロサンゼルスの大谷翔平番記者による人物紹介、紆余曲折を含めて日本プロ野球からメジャー二刀流成功のストーリー、野球史的意味、スタッツ、特徴、反響、人気の秘密、など纏められている。私は2021年メジャー・オールスター、ホームラン競争から注視、魅せられた「にわか」ファンなので時間軸を辿り埋めることが出来て有難い著作だった。野球史的意味を更により深く探り、その類い稀な価値をここでは書いてみようと思っている。
  チームで対抗するスポーツの意味を纏めてしまうと攻撃側は如何に平滑空間を創り出せるかにかかっている。スーパーフラット。シームレス。対するは守備、ディフェンスは平滑空間を創らせないよう条理空間、細分化されたテリトリーで阻止し、相手を自由に動かせないようにする。ホームランは究極の平滑空間だろう。守備陣を無きに等しいものにする自由空間が出現する。キーパーも含め、全てのディフェンスを奇麗に抜いてゴールポストに球を蹴り込む快感と同じようにホームランも大谷選手の場合は特に美しさを伴っている。メジャーでは強引な力技によるホームランが主流だから大谷翔平選手の美しさは際立っている。
  野球の特異性は守備の要のピッチャーが受け身であるどころか攻撃に出る、先手を取れるところだろう。大リーグでは支配という単語で表現される。ピッチャー以外は守備範囲を条理空間で守っている。唯一投手は平滑空間という攻撃で守れる。空振り、見逃し、手も出ない速球や変化球。平滑空間そのものの創造になる。先取防衛は先取攻撃になってもいるのだ。野球の試合は8割、投手で決まる、と何人の選手、OBが口にしたことだろうか。
 大谷翔平は打者としてかっ飛ばすホームランという平滑空間と、投手として空振り見逃しさせる平滑空間の質的に違うものを同じ試合の中で体験している類い稀な選手なのだ。しかも両方ともスーパースター級の活躍。まさに二刀流。年間80本のホームランを打つ選手が現れようと、ピッチャーの創り出す平滑空間を体現することはできないのだ。   

 1/08/2023   

ピッチャー優位の意味ー多様体の宝庫ー 大谷翔平 その2 des sports baseball
 空振り見逃しが攻撃に良い効果をもたらす場合もなきにしもあらずだが、概ねボールに当たらなければほぼ打者としての存在価値は生まれないだろう。対して投手はバットに当たる当たらないにも関わらず投球には多様体が顔を覗かせている。人は多様体を観たがるし、多様体に無意識に惹かれる。自ら多様体に成りたがる。人間が多様体そのものだとしても多様体の表現、ステージでの魅せる行使にはそれなりの努力・工夫が必要なのだ。エンタメでもスポーツでも何万人何百万人を唸らせる見せ場を提供するには類い稀な才能も絡んでくるのだろう。むしろ才能を生かし切れないケースの方が多いのかも知れない。今春注目な選手には藤浪晋太郎も入ってくる筈だ。
 データベースに質の高い要素が多いほど華やかで多彩になる。球種の少なかった投手野茂英雄でも速球とフォークボールの二種類を投げ分けていた。二つの要素の組み合わせで日本人メジャーリーガー未だ最多勝を誇ること自体が驚異だろう。n-1(nが多様体)が投手の一球一球の球種・多様体の行使になる。それに速度やコース、順番、組み合わせ・コンビネーションの要素も加わる。球種が二つでも組み合わは無限に近い。多様体は入れ子構造、並列に並ぶことや、下位上位と複雑に絡みあい、更に多種多様な複合・多様体となる。
 対戦するスポーツは相手から自分が「知覚しえぬもの」に成ることが勝負の分かれ目になる。右利き大谷翔平投手なら右打者外角に逃げるスライダー。50センチ以上曲がることもあり、ほぼホームベースを横断してしまうのだ。内角のボールコースに見えていたものが、捕手のミットには外角のボールゾーンにまで達する。昨年の途中から投げ始めた日本では右バッターの内角の胸元へ鋭く曲がって(落ちて)行くシュートやシンカーと呼ばれていたボール。2022年9月10日のアストロズ戦で対戦したメジャーリーグ屈指の功打者(MVP1回、首位打者3回、右利き)、アルトューベへ投げた「ターボシンカー」と命名された43センチ打者に食い込む159キロの新種ボールは驚愕の魔球と呼ばれた。ストライクゾーンからボールへ。笑うしかなかったアルトゥーベ選手の何とも云えない表情、エイリアンと遭遇したような顔が話題になったのは記憶に新しい。   

 2/03/2023   

箸休めの意味で少し軽めの話題をー 大谷翔平 その3 des sports baseball
 メジャーリーグから日本に入ってきたセンター後方からのTV中継の画面。あれで投手が試合を支配するシーンが画角から一目瞭然になった。そして日本の「専守防衛」ならぬ「先取防衛」つまり防衛側が先に攻撃に出る、これは大量破壊兵器があると虚偽の情報でイラクを破壊したアメリカの軍事作戦と似ていやしないか。この指摘は勇み足にも思えるが、サブリミナルにも似て自由を愛する合衆国の野球離れの一因になっているのかも知れない。
 それは兎も角、年俸ベスト5の内ピッチャーが4人。契約面でもエース級の先発投手は有利だが、3割バッターの激減は今シーズンからのルール改正でどれだけ補整されるのだろうか。極端な守備シフトの禁止。ランナーが居ない時で15秒以内で投げる(ランナーあり20秒以内)、という時間制限も加わる。サッカーワールドカップで正確さが実証されたAIによるボール判定も来年から導入される見通しだ。マイナーリーグでは一試合7回までに変更になっているし、ルール改正が暫くは続くのだろう。成果はエキサイティングな試合に移れるかどうかで、観覧者、視聴者の数値となって現れて来る。どのチームも29チームと対戦し、全球団と当たる。大谷翔平選手の効果であるらしい。観客も選手も直に大谷選手と当たってみたい、という願望。百年に一人の選手とはそういうものなのだろう。ただ、これはバッターには不利になるだろう。初手合い、未知の投球に翻弄される。ただ日本に比べ選手の移動が激しいので未知の選手は案外少ないのかも知れない。
 かつて野村克也氏は投手のステータスをこのように分類していた。コントロール。コンビネーション。球の出し入れ。コントロールは捕手のサイン通りに投げる新人投手のそれで、コンビネーションは攻めを自ら組み立てる能力で投球術はかなり向上する。玉の出し入れは、ストライクゾーンの出し入れで、投球も極まるとストライクでなく、ボールを振らせてアウトを取れるようになる。もしバットに当たったとしても凡打の確率は高い。それでも敢えて三振を取りに行くピッチャーはその冒険心から賞賛される。三振奪取率1位だった大谷翔平投手が注目される所以でもある。   

 2/17/2023   

二刀流を阻むのは自己同一性か?ー 大谷翔平 その4 des sports baseball
 欧米人にとってアイデンティティ自己同一性は根深いテーマ、ポリシーだろう。IDは日本人のように自己証明に必要な書類の類では決してないからだ。存在意味や存在証明に属する根幹の問題であるのだから。
 昨シーズン、大谷の同僚だったローレンゼン投手は今期タイガースに移籍し二刀流を再開するという。本人はやりたかったがエンゼルスでは打つ機会が与えられなかった。外野手と中継ぎの二刀流が彼の過去のスタイルで、エンジェルスでは先発に転向していたから、そして大谷翔平選手という成功者がいたから必要とはされなかったようだ。果たして今シーズンはどうなるのだろう。
 アメリカの特に白人選手だった、投打の練習を上手く続けることがそもそも困難であると、複数の選手がそう述べていたのを思い出す。強靱なスタミナが必要というフィジカルの現実問題と共に、投手としてのアイデンティティと、打者としてのそれは違っていて、一人の中でどう折り合いを付けて日々練習すれば良いのかそこで頓挫してしまうのかもしれない。アイデンティティ、投手?打者? アメリカでもリトルリーグでは当たり前のように二刀流は行えている。成人したら困難になる、その落差の大きさ、日本人の常識で理解するのは難しいことなのかも知れない。アイデンティティの確立が二刀流を阻んでいる大きなハードルであるらしいことは推測される。実際ベーブルースも嫌々、第一次世界大戦に独身選手を取られ、仕方なく必要に迫られて二刀流をしていただけだった。
 対して日本人は場の空気を読んで従うことが典型的な日本人として身に付いていると考えられる。ランナーが一塁に出れば、次のバッターはバントや流し打ちでランナーを進めようとする。自己の存在より、ゲームの流れや場の空気を優先し、疑問を持たずに従える、そのように幼少期から、リトルリーグ、高校野球、そしてプロ野球に至るまで訓練もされ続けている。アメリカのメジャーリーグ選手は常に俺のバットでゲームを決める、という心構えでバッターボックスに入り、それは監督もチームも容認している場合が殆どである。
 欧米の人々はそれ程までにアイデンティティを優先させるものなのか、フランスからの不幸なニュースで示されていた。端から見ての不幸であっても、本人は幸福だったろう凍死のニュースである。セーヌ川のホームレスが極寒であっても施設には行かない理由が己の信条、自由を貫くことであった。己れの判断、行いは己れが決めるという周りに左右されない、命令されたくないという欧米のアイデンティティはそれ程までに強固なものであった。命を失っても!? 日本人の常識、想像を遥かに超えているだろう。強固な、けどそれが現実で珍しいことではないらしい。
 例えば日本の大工は木に従って生きている。何年か後の木の反りを計算に入れて家を建てる。自己が初めに有るのではない、自己以外、自分よりも相応しいものに従って生きる生き方。場に従って、マウンドならば投げるピッチャーになり、バッターボックスに立てば打者に、に出れば走者になる。ロラン・バルトは『表徴の帝国』でを使って日本文化を説明していた。
1、指示する
2、断片をつまむ
3、分離する(ほぐす)
4、運ぶ
(p25ー28 宗左近訳 『表徴の帝国』(新潮社〈創造の小径〉、1974年  L'Empire des signes )
 四つの動作、四つの動詞によってその時々に意味が生成する。同じ箸が別のものになる。二刀流もそのように理解されるだろう。
 投げる、打つ、走る、休む(ニュートラル、遊ぶ)。その時々で別人になる、というよりも、その場に合わせてその場に相応しい人になる、なれる。ごく自然に移行する。特に意識などしていない筈だ。それが日本人に染み付いた特異性なのだから。
 複数の自己。満塁で凡退した打者大谷翔平を、投手大谷が匿名で批判したこともあったというエピソードを最近知った。ジョークなのであるが、複数の自己の実践という的を得た出来事だった。推理小説のエラリー・クイーンは二人の共著(秘密)だったが、一人が新人作家を名乗り、覆面で両者を登場させて議論したことがあった。大谷翔平選手はそれよりも完璧な一人二役だった。
 欧米の例えばナイフは切る作用をする道具に特化されている。食べ物を運ぶのは苦手だろう。ほぼ一義的な道具の使い方もその国の野球選手に対応している気がする。  ここでの文脈、ベースボールだけではないのだが、日本人のアイデンティティはその反対語である「多義的(両義的)-多様体」なのだと思う。サッカーワールドカップで客席を離れるときにみんなでゴミを拾って帰る行為。その場で必要だったら、道で外国人が困っていたら手助けする。外国人旅行者が母国では有り得ないことをされて驚くエピソードは事欠かない。外国語が分からない人も身振り手振りで何とか助けようとし、時間を割いて目的地までに連れて行ってくれることも珍しくはないのだ。
 同調圧力に屈していると(権力奪取を狙う)少数派からは揶揄されているこの場の空気に従うことが多義性、両義性を裏打ちし、成立させているのだからそのすべてを悪の根源のように云うのは間違っている。決して劣っているのではない。同調しないことも時と場合によっては必要だ。議論の場や意見交換など、それはケースバイケースで使い分ければいいこと。人間をブラッシュアップして「多様体」として完成してゆくよきエクササイズになっている場の空気を読む、日本人が日本人になる大きな要因なのだ。劣等感に結びつけてはいけない。  大谷翔平選手はまず才能に恵まれ、天分が並外れてあった。その進化は今も続いている。同時に「多義的(両義的)-多様体」であるという日本人の特異性を兼ね備え、しかもパワー不足と思われていた日本人選手という限定を離れ、アメリカ人をも納得させる飛距離を飛ばすホームランバッターだ。時速100マイルのボールを投げるエースピッチャーでもあることが兎も角素晴らしい。日本人離れし、アメリカ人が望む特大のボールを飛ばすバッター、兼最速のピッチャー。両方兼ね備えていた選手は伝説のベーブルースだけだったという記録マニアの心をくすぐる選手は今のところ大谷翔平選手以外に見当たらない。スタイルの良さ、バッターボックスでの堂々たる構え、バッティングホームの美しさ、飛距離、韋駄天の走り、驕らない謙虚な姿勢。「多義的(両義的)-多様体」(複数の自己)の現れである子供のように楽しそうな練習風景の合間やベンチでの戯れも場の空気を読むことに長けている証拠だろう。レジェンド史上四人目の700本塁打以上を記録、昨年引退、今シーズンからエンジェルスのアンバサダー兼指導者となり、春のキャンプで指導していたプホルツの後ろに回り、小さな白いゴミ?を彼の背中に投げていた映像、3年半、チームメイトで二刀流の良き理解者で大谷の才能をいち早く見抜き、人間関係、信頼関係が出来ているのだろうが、そのクソガキ振りには驚かされた。DHの座を譲り、未来を託した大谷翔平選手は子供のように可愛いのかも知れない。
 一貫した求道的振る舞いで周りを緊張させプレーオフを逃し続けた?かもしれないマリナーズのイチロー選手との差は大きい。ヒットを打つ姿は日本人だったが、ポリシーは個人を貫くアメリカ人(求道者程自己同一性を貫く人間は居ない)、ヒットを打つことに拘りフォアボールを嫌い、チームプレイに必要な出塁率は二の次だった。フォアザチームではなかったイチロー選手はアイデンティティを良く貫いていた。そういう意味でもまずチームが勝つことに拘る大谷翔平選手は日本的だ。二刀流の成功はベースボール、スポーツ界にとどまらず、世界に誇れる日本人の集大成だろう。   

 3/08/2023   

WBCー 大谷翔平05 des sports baseball
 WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)が開催中だ。現時点で日本は予選ラウンドを1位通過で終えた。4試合とも良く戦い、よく勝った。失点も最小に近く、投手の仕上がりは申し分ないだろう。
 二刀流までは行かないまでも、打者として「場」の空気を読み、その場に合わせて相応しい打者になり切っていた選手が大谷翔平選手以外にも1、2、5番でことに目立っていた。7、8、9の所謂下位打線も充分に機能し上位打線に繋げていた。先頭バッターならば塁に出ることに徹する。ヒット、フォアボールを問わず。走者がいれば次の塁に進めたり、ホームに返す。センター返し、流し打ち、バント、時には思い切りひっぱる。選球眼の良さを発揮し、ボールや打ちにくい球を無理に打たない。走力、瞬時の判断力も必要だ。
 1番ヌートバー選手(センター、カージナルス)、2番近藤健介選手(ライト、ソフトバンク)、5番吉田正尚選手(レフト、レッドソックス)、下位打線不動の遊撃手の源田壮亮選手(西武ライオンズ)、中野拓夢選手(遊撃手、阪神)、捕手の甲斐拓也、中村悠平両選手。ほぼ全員の役割が機能していた。選手が役割に徹し、勝利に突き進むチームの総合力は格段に高くなる。足し算ではなく掛け算の効果だ。
 DH大谷翔平選手はクリーンアップで、塁にいる走者をホームに返す役割に徹していた。ホームランよりヒットの確率が高ければ、ヒットを狙い、甘い球はオーバーフェンス、思い切り叩いた。
 二刀流に固執したことはエゴイズムに見えなくも無い。が大谷翔平選手は自分の能力は二刀流でこそ発揮されると思い描いており、曲げなかった。それはまさしくフォアザチーム。メジャーリーグに来て、球団の方針もあり、ベーブルースのように投手の日、打者の日と分けたり、登板した次の日は休暇に当てたり、気を使ったつもりが逆効果で集中力を欠いたのか怪我が多かった。大谷翔平選手に最適化されたリズム、毎日出場、登板日にもDHで打席に入る。この実践が許された2021年からは本塁打王争いを演じ一躍メジャーリーグのトップ選手として大いにブレイクした。大谷翔平選手の望み通りに出場し続けたことが我が儘ではなくフォアザチームに結びつていた。それは決してエゴイズムではなかった。自分を活かすための信念は曲げないのだ。
 そしてゴミを良く拾う習慣はそのまま実行しメジャーリーグという「場」を良く読み、観客が喜ぶ特大のホームランや、時速100マイルのダイナミックな投球と変幻自在な変化球で三振を量産した。日本、アメリカという異なった環境、場にも適応する能力も持っている。柔軟性も持ち合わせている。チームに溶け込んでいる。日本人の良さをそのまま持ち込んでいる。
「補足」
 多様体に必須の要素はニュートラルな自己、投手でも打者でも走者でもない、誰でもない自分になれること。観客席に居る無邪気な野球少年に戻れること。マニュアルカーと同じでニュートラルな位置があって始めてどのギアへも変換することが出来る。箸で云えば、置いてある状態、何もしていないから何にでも成れる。使い方次第でいろんな箸に成れる。投手、打者、走者、色んな大谷翔平選手に成れる。   

 3/14/2023   

WBC優勝!ー 大谷翔平06 des sports baseball
 マイアミでの決勝ラウンドは、準決勝、決勝と劇的な筋書きでの勝利だった。準決勝一点ビハインドで迎えた9回裏、先頭打者の大谷選手は塁に出ると腹を決め、見事右中間へはじき返し、ヘルメットを脱ぎ捨て快走、二塁打にした。そしてベンチのナインへ両腕を突き上げ鼓舞した。吉田選手四球で繋ぎ代走周東選手、5番村上選手のフェンス直撃の逆転サヨナラ二塁打を呼び込んだ。
 決勝はメジャーリーガーを揃えたアメリカと対戦。先発・継投の若手五人衆が力強くスター選手を押さえ込み、9回にクローザーとして大谷翔平投手がマウンドへ。二死でチームメート、MVP3回、現役メジャーリーグ最高のバッターと云われる、マイク・トラウトを迎えた。160キロ超えの直球で二度空振りを取り、3-2フルカウントののちスライダーが43センチ曲がり、トラウトのバットは空を切った。バットに一度も当たらずの三振は、トラウトでも稀な打席だった。長嶋一茂さんが指摘したとおり、何れもバットはボールの下を通過した。直球だけでなくスライダーもホップして曲がったように見えた。力と魂が籠もったボールは見事な幕切れを演出した。
 前回のWBC、大谷選手は怪我で途中リタイア。コーチだった権藤博さんは当時を回想し、大谷はバットを振っているか、食べているか、寝ているか、だと感嘆した。
 つまり野球漬けの生活が当たり前だったのだ。栗山監督が「野球小僧」と形容するとおり、ノンプロの野球選手だった父親、野球をやっていた兄、の前では「門前の小僧」よろしく物心つく前から野球に浸っていた。反復が欲望を感じる前から身に付いていて、苦もなく体力が続くかぎり行われる環境下に育ったのだろう。
 何故可能なのか、ニュートラルな自己を活用出来たからだと思う。練習はキツいけれど苦ではない。
例えばメジャーリーガーの習慣、ガムを噛む行為はリラックスが目的で、最適化された、無駄な力みを防ぐ運動への補助的な営みだろうし、ニュートラルに似ているけれど、そこには差異が存在すると思っている。ニュートラルはもっと気が抜けた状態に近い。日本人の特異な例として上げられる電車での睡眠は不特定多数の前でもニュートラルで居られる日本人を表徴している。「誰でもない自分」に成れる(戻れる)のだ。睡眠中は誰でも動物でも夢を見ている以外ニュートラルな状態だ。笑いもそうだが、ニュートラルは疲れを取ってくれる。猫は殆どの時間、ぐだぐだしているように見え、エネルギーがチャージされているのか、動くときは素早い。ニュートラルを上手く利用して生きている。末っ子の大谷選手は恐らくみんなに囲まれて和気あいあいと可愛がられて過ごしてきたのだろう。そのような状態がニュートラルに繋がり(悪戯好き)、疲労回復と同時に何処にでもギアを入れられる状態を作り出しているのだと思う。投手、打者、走者へ自在に転身出来る足掛かり。ニュートラルについては後日に、、、なのでこの辺で。   

 3/29/2023   

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  • from 1980ー 大谷翔平07 des sports baseball
     #Masaya Chiba  #Keiichiro Hirano  #Druze  #Levy Strauss  #Shohei Ohtani  In the 1980s, postmodernism quickly dissolved the complex that the Japanese had with the West and gave the illusion that they had leaped to the forefront of the world. The frenzy. The denial of self-identity was intense. The self-identity that was too stubbornly stubborn rejected all diversity (multiple selves) and converged on the same identity as before. The network theory that the world is potentially interconnected made a comeback in the 21st century, but it ended in the cruel result of Masaya Chiba's theory and swirling desires.  Deleuze's inability to depict human diversity was probably one of the reasons. He was not interested in Japan. Therefore, he had no choice but to resort to a generative change that overturned self-identity. It was a rough treatment and a religion.  What is "I"? From "Individual" to "Partito" (2012 Kodansha Gendai Shinsho) Hirano Keiichiro  This book is a good insight into the peculiarities of the Japanese people. It is brilliant.  And in a positive way. He has affection for the Japanese people.  Masaya Chiba's "The Philosophy of Study" (Bunshunbunko 2020, enlarged edition) says that philosophy is to resist reading the atmosphere of the place by viewing the same phenomenon negatively. The first step would be affirmation. I can find no reason not to see this as a polysemic variety peculiar to the Japanese. Is it an oath of allegiance to France, or is it an unwritten rule of Japanese philosophers?  Now, I would like to add one more person to the group. It is neutral in need of a gear change. This "nobody-self" is also independent. In their own rooms and in their own homes, the Japanese live in neutrality. There is a lot of meaning in taking off your shoes. It is a time to unwind and often bump into each other with desires on anonymous forums. The Oleore scam caught on a landline phone is probably a tragedy of this neutrality.  Habitual repetition can be done in neutral, and so can sleeping on the train. You can walk through traffic in neutral. That's why it's cheap to show foreign tourists the way. It is a way to be in tune with the place.  In "The Other Side of the Moon: Perspectives on Japanese Culture" (translated by Junzo Kawada, Chuokoron Shinsha, 2014), Levi-Strauss described the self as coming from the outside and finally being established. He said that this is the opposite of the West, where the self emanates from the center.  I do not believe that the two-faced game is possible because he is too talented, but because Shohei Otani is Japanese. He reads the atmosphere and the flow of the game. This is the peculiarity and talent of the Japanese. On the bench, he is taking the fatigue out of the game with his baseball boy.  Marie Delacruz (Reds, Dominican Republic, 21 years old, 196 cm) became the talk of the town when she threw a 160.6 km/h pitch from shortstop. There are plenty of strong-shouldered fielders out there. Unlike Ichiro, Ohtani hits 150-meter home runs, which is what the U.S. needs, and throws pitches faster than 160 km/h. Ichiro's record was great, but Ohtani's was not. Ichiro had a great record, but Otani is a player who will be remembered and recorded. Both are probably the most representative Japanese of the 21st century. They are uniquely Japanese.  Ichiro, a seeker, has an established self-identity. Everything is a discipline. Mike Trout, too. However, he may make people around him nervous, but he is not a winner.  How many titles will Shohei Ohtani win? I am excited.  (First draft)  9/23/202319:22 DeepLで翻訳しました (https://www.deepl.com/app/?utm_source=ios&utm_medium=app&utm_campaign=share-translation



     #千葉雅也  #平野啓一郎  #ドゥルーズ  #レヴィ・ストロース  #大谷翔平  1980年代、日本人が西洋に対して持っていたコンプレックスをポストモダンが周回遅れを一気に解消し世界の最先端に躍り出たかの錯覚を与えてくれたあの熱気。熱狂。自己同一性の否定は強烈であった。頑固すぎる自己同一性は多様体(複数の自己)を悉く拒否し、相も変わらぬアイデンティティーに収束してしまったのだがーー。世界は潜在的に繋がっているというネットワーク理論で21世紀に復活するも千葉雅也説、欲望渦巻く無残な結果に終わった。  ドゥルーズが人間多様体を描けなかったのも一因だったろう。日本に興味なかった。よって自己同一性を転覆する生成変化に頼らざるを得なかった。ここまで来ると荒療治であり宗教である。 『私とは何か 「個人」から「分人」へ』 (2012 講談社現代新書) 平野啓一郎  日本人の特異性によく切れ込んでいる。見事だ。  しかも肯定的に。日本人に愛情を持っている。  千葉雅也の『勉強の哲学』(文春文庫  2020 増補版)は、同じ現象をネガティブに捉え、場の空気を読むことに抵抗することが哲学であると。先ずは肯定であろう。これを日本人特有の多義的多様体と観ない理由が見つからないのだが。フランスに忠誠を誓っているか、日本人哲学者の不文律か。  さて私は分人にもう一人加えたい。ギアチェンジで必要にニュートラルである。この「誰でもない自分」は独立してもいる。自室や、家庭内では日本人はニュートラルで生きている。靴を脱ぐ意味は大いにある。疲れを癒す時間であり、匿名掲示板では欲望のままぶつかることもしばしば。固定電話で引っ掛かるオレオレ詐欺はこのニュートラルの悲劇だろう。  習慣化された反復はニュートラルで行えるので、電車で眠ったりも出来る。往来をニュートラルで歩けるのだ。だから外国人観光客を道案内するのもお安いことだろう。場に寄り添えるのだ。  『月の裏側 日本文化への視角』(川田順造訳、中央公論新社、2014年 レヴィ・ストロース)は、外からやがて最後に自己が定まると表現していた。中心で自己が発する西洋とは真逆だと。  才能が有りすぎるから二刀流が可能なのではなく、大谷翔平が日本人だからこそ可能だったと思っている。場の空気を読む、試合の流れを読む。この日本人の特異性、才能である。ベンチでは野球小僧で疲れを取っている。  マリー・デラクルーズ(レッズ、ドミニカ共和国、21歳 196cm)はショートから160.6Kmの球を投げて話題になった。強肩野手はごろごろいる。大谷はイチローと違い、アメリカという場が欲する150mのホームランを打ち、時速160Km以上の球を投げ込む。イチローは記録が素晴らしかったが大谷は記憶にも記録にも残る選手。両者は二十一世紀の代表的日本人だろう。日本人離れしている。  求道者であるイチローは自己同一性が確立している。すべてが修行。マイク・トラウトも。ただし回りを緊張させてしまうのだろうか、優勝からは遠ざかってしまう。  大谷翔平はいくつタイトルを取れるだろうか。ワクワクする。  (第一稿)   

     9/26/2023   

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